でもそれは希望を失ったことにはならない

どんな人とでも分かり合える、というとは理想ではなく、お互いに歩み寄ればそうなるという事実だと思っていたのですが、どうやらそうでは無いようです。

もう10年くらい前のことでしょうか、牡蠣に当たりました。
襲ってきた筆舌に尽くしがたい苦痛。
しかし、食い意地の張った私は、その後も数回牡蠣を口にして、その度に寝込みました。
それから数年は、牡蠣の写真を見ても、何なら牡蠣という文字を見ても胃のあたりがシクシクキリキリ痛む体質になった私。
そして月日は流れ、慣れか油断か、牡蠣を見ても最近は何にも感じなくなっておりました。

人は痛みを忘れるものです。
それは生きていくためには必要な能力でもありますが、同じ過ちを繰り返すという弱点でもあります。

私は数年ぶりに牡蠣を食べました。
美味しい、やはり牡蠣は美味。
しかし、食後数分後やって来た胃痛。
「ああ、これ、だめなやつだ」
潜り込んだ布団の中で検索する「火が通った牡蠣 胃が痛くなる」というキーワードから導き出された答えは、アレルギーです、生だろうとしっかり加熱してあろうとアレルギーです、ということでした。

今回食べたのは缶詰のスモークオイスターで、しかもそれを鉄板の上でしっかり焼いたもの。
牡蠣に罪はありません。
牡蠣が私を攻撃したのではなく、私が牡蠣を拒絶したのです。

美味しかった記憶は忘れないよ。
しかし、私たちはもう交わることはないでしょう。
さようなら牡蠣。
アデュー。アリーヴェデルチ。ザイチェン。

牡蠣だったら、食べなければ良いのです。
私がどんなに求めても牡蠣は変わらない、私も牡蠣を受け入れなれない。
私がコントロール出来るのは、牡蠣との距離感。
だけど、これが人間だったら?
同じコミュニティにいても、分かり合えないことって、どうしてあります。
そんな時はどうすれば。
牡蠣と違って、人間である相手をコントロールすることはできません。
簡単にアデュー出来ない、そんな時。
やり過ごす、やり合う、これを繰り返していくしかないのかなぁと思いました。

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